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相川ことね 2026/07/15 公開 2026/07/15 22:00 更新
海運で栄えるレスリア王国の外務を握るヴェスパー侯爵家に、「挨拶もできない木偶」と侮られる令嬢がいた。ノーラ。だが隣国との条約も、往復の親書も、使節の応対も、六年、彼女が一人で訳し、下交渉してきた。社交で世辞が言えないだけで、六か国語と古語を港で独学した腕は、国に二人といない。姉ミレイユが「語学の才媛」として手柄を横取りし、無能の噂を流していただけだ。
ある夜会。格上の婚約者が言い放つ。「挨拶ひとつまともにできない木偶と、誰が添い遂げるか」。婚約破棄、そして勘当。姉は嗤い、父は目をそらした。
ノーラは、一言だけ告げて去る。「批准式の訳は、どうか原文と照らして」。誰も聞かなかった。
流れ着いた国境の港町で、ノーラを拾ったのは、身分を伏せた流れ者の使者・レイフだった。腕も素性も知られぬまま、二人は異国の言葉と港の暮らしで助け合う。彼が惹かれたのは、絡まれた子供を庇って啖呵を切る、その気っ風だった。
そして、翌月。彼女のいない批准式で、姉は「休戦」を「降伏」と訳した。隣国オルレンの面子は潰れ、条約は破れ、国境で戦端が開こうとしていた。姉が開いた書架は、六か国語のまま一行も読めなかった。言葉は、訳した者の手柄にはならない。ただ、毎日両側を聞いた者にしか、橋は架けられないだけで。
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