推理 連載中・全1話

 本能寺の変殺人事件  (下) 副題 その時信長は本能寺にいなかった

堀本廣 2017/06/08 公開 2017/06/08 16:13 更新

あらすじ

 六所神社は徳川家初代松平親氏こと徳阿弥が陸奥の国塩竃神社から勧請している。そして塩竃神社は京都の賀茂神社と縁が深い。
 加茂(賀茂、鴨)は川沿の低湿地帯に生えるアシやカヤ、スキなどの根に生成される褐鉄鉱を求めて移動する集団でもあった。三河でも鉄を求めて移動して勢力を有していた。
 徳阿弥もこれら鴨氏集団の一員であった可能性が高い。徳阿弥は最初三河の幡豆郡の酒井氏に身を置いて以後矢作川そ遡り、松平郷に達して勢力を伸ばしている。
 家康は徳川の姓を名乗る事で鴨氏とのつながりを強調したのだった。
 賀茂氏は秦氏の中の秦氏であった。秦氏は全国に根を張る技術集団、忍者、修験僧達との強い繋がりで結ばれている。
 徳川家康が本能寺の変後、伊賀越を敢行したがこれは服部半蔵の進言に寄っている。しかも家康を先導したのが天正伊賀の乱のとき、率先して伊賀国に侵入した多羅尾光俊だった。
 本当ならば多羅尾光俊は信長亡きあと、伊賀国人(伊賀忍者)に報復されてもおかしくはなかった。しかしそのような事実はなく、むしろ後年多羅尾家は徳川幕府執政下で勢力を伸ばしている。
 この謎に対して間瀬澄子は推理を働かせる。そして多羅尾光俊の子孫多羅尾次郎からその謎を聴かされる。
 平成21年8月中旬、澄子は神社年鑑から行者ヶ森の牛尾観音の管理責任者が望月源之助である事をしる。そして多羅尾次郎の証言から、織田信長は本能寺の変の時拉致されて牛尾観音の地下洞窟に監禁された事実を突き止める。そして間瀬耕一もこの事実を知り、望月源之助に迫って、殺されたと知るのだった。
 後日、澄子と内田は京都府警の宅名刑事と共に牛尾観音に向かう。そこで待っていたのは矢口春雄と冨島潤一であった。その数日前望月源之助が自殺している。
 冨島は澄子達に信長は牛尾観音の地下深くで眠っている。この事は公表しないでほしいと頼む。もし公表すると間瀬耕一と同じ目に会うだろうと警告する。
 澄子達は冨島の言葉に釈然としないものを感じるのだったが、それ以上追求する事は出来なかった。

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