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渚月(なづき) 2026/03/10 公開 2026/03/11 12:00 更新
追放令は、朝露がまだ乾かない時刻に届いた。
私が真っ先に確認したのは、婚約の証だった指輪でも、六年間暮らした宮廷薬師局の部屋でもない。薬棚の在庫表だった。
◇
硝子瓶の並びを指でなぞる。解熱草の残量、鎮痛樹皮の精製分、先週仕込んだばかりの止血軟膏。すべて、私の手で調合したもの。
(……これが誰の名前で使われるのか、もう確かめる術はない)
背筋を伸ばして、棚から手を離す。
持ち出せるものは限られている。けれど在庫表の数字は、もう全部この頭の中に入っている。
荷物は小さな革鞄ひとつ。中身は着替えと、使い込んだ調合ノート一冊。
宮廷の正門を抜けたとき、振り返らなかった自分に少しだけ驚いた。涙が出なかったことにも。
◇
辺境へ向かう乗合馬車の窓から、王都の尖塔が遠ざかっていく。
揺れる荷台の上で、私は調合ノートを開いた。最後のページに、昨夜書き足したばかりの数式がある。
——この先に待つものが何であれ、この手は薬を作れる。
それだけが、今の私のすべてだった。
馬車が街道の曲がり角を越えたとき、すれ違った早馬の騎手が、宮廷薬師局の紋章をつけていた。
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