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uta 2026/10/16 公開 2026/10/16 19:00 更新
「リディア・ヴァルドネ。お前との婚約を破棄する」
三百人の貴族が見守る広間で、伯爵家嫡男が高らかに宣言した。けれど侍女のわたし——ミレーヌ・サージュ、三十一歳——がその瞬間に気にしていたのは、主人の心でも令嬢たちの嘲笑でもなく、床板の継ぎ目から上がってくる匂いだった。
鉄錆と、練った粘土。そこに混じる、腐りかけた石灰。
「……この広間、床下の湿気が上がっていますね」
断罪の続きを待っていた広間が、静まり返った。
わたしには前世がある。日本の地質調査会社に勤めた、十二年選手の地盤調査技師。土を掘り、試料を練り、匂いを嗅いで「ここは崩れます」と報告書に書く仕事だ。
土は、嘘をつかない。人は、つく。
この屋敷は丘の中腹に建っている。その下には、百五十年前に放棄された石切り場跡がある。埋め戻しの記録は、どこにもない。
一方、捨てられた主人リディアお嬢様は、婚約破棄の夜に泣きもせず帳簿を開いていた。「あの方を失って損をした項目が、一つも見つからないのです」——人形令嬢と陰口を叩かれる彼女は、十四歳で領地の経理を回していた数字の人だった。
匂いを嗅ぐ侍女と、数字を読む令嬢。
二人が手を組んだとき、崩れるのは屋敷か、それとも——。
地味で、理詰めで、泥くさい。けれど確かに正しいものだけが残る、婚約破棄後ざまぁ譚。
「あの斜面は、安全です。崩れはしません。ただ、滑るだけです」
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