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アクア 2026/07/29 公開 2026/08/21 21:31 更新
婚約した日の朝から、毎朝一輪の花が届きます。
伯爵令嬢ユーディットは、その一輪を押し花にして、日付と、丈と、棘のあるなしと、届いた時刻を一行ずつ書き留めてきました。七百二十輪。二年ぶんの帳面です。
婚約二周年の午後、婚約者クラウス様が薔薇の花束を抱えて訪ねてこられました。
「今朝は特別に、私が選んだ」
その晩、わたくしの手は腫れて、指が曲がりませんでした。わたくしは薔薇に触れられません。厨房の女中も、厩番も、この家の者なら誰でも知っています。
――では、七百二十輪のあいだ、一輪も薔薇を混ぜなかったのは、どなたですか。
「毎朝の花を選んでいたのは、どなたでしたの?」
夜明け前の通用口に立ってみて、わたくしは知りました。二年間、毎朝そこへ花を置いていったのは、北の温室の若い主人でした。
その人は、わたくしの顔を一度も見たことがありません。
そのかわりに、どの窓に先に灯りがつくか、どの器が窓辺にあるか、厩がいつ動くかを、二年、坂の下から見ていました。だから丈が合うのです。だから棘が落としてあるのです。
「置く場所を、うかがってもよろしいですか」
二十年、誰にもそう訊かれたことがありませんでした。
わたくしは「気づきすぎる子」と言われて育ちました。見たことを口に出すたび、うるさいと言われて、そのうちに訊くこともしなくなりました。
その観察に、毎朝、返事が来ていたのです。
これは、誰も返事をしなかった娘と、理由を訊かれるまで黙っている職人の、七百二十輪ぶんの遠回りの話。
制裁も暴露もありません。婚約者は悪い人ではなく、ただの一度も訊かなかっただけです。
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