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花守かおるこ 2026/06/07 公開 2026/08/21 21:09 更新
白い布に見えたでしょう。
けれどそれは、ただのドレスではありませんでした。
一本の糸に祈りを込め、
一針ごとに願いを縫い込み、
幾つもの夜を削って紡いだ、見えない城壁でした。
誰も気づかなかったのです。
風を防ぐ壁は見えるのに、
災いを防ぐ壁は見えないから。
「地味ね」
その一言とともに振り下ろされた鋏。
しゃり、と鳴った音は布ではなく、
信頼を断ち切る音でした。
あなたは笑いました。
どうせ娘の趣味だと。
どうせ代わりがあるのだと。
どうせ壊れても困らないのだと。
けれど世の中には、
失ってからしか価値が分からないものがあります。
空気。
健康。
平和。
そして、守られていた日常。
花が枯れ、
人が病み、
屋敷に不幸が忍び寄る。
それでもなお、
「どうしてこんなことに」
と嘆くのでしょう。
答えは簡単です。
誰かが毎日、黙って支えていたから。
褒められなくても。
感謝されなくても。
存在そのものを当たり前だと思われても。
その人がいたから。
結界とは魔法だけではありません。
家族を守る人。
職場を支える人。
誰にも見えない場所で働く人。
そんな人たちの積み重ねです。
鋏は簡単に振り下ろせます。
けれど、一度切れた信頼は戻らない。
一度壊れた結界は戻らない。
だから私は去りました。
怒りではなく。
復讐でもなく。
ただ、もう守る理由がなくなったから。
やがて人々は知るのです。
失った後で。
あの地味なドレスが、
あの無口な娘が、
あの当たり前の日々が、
どれほど尊いものだったのかを。
朝日が昇る。
新しい結界が光を帯びる。
今度は誰にも壊されない場所で。
私は静かに針を持つ。
守るべきものを知る人々のために。
そして胸を張って言うのです。
「これはドレスではありません」
「未来そのものなのです」と。
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