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アクア 2026/07/19 公開 2026/07/24 12:30 更新
「家政ごときに随分と態度が大きいな。女中頭など、誰でも務まる」
先代公爵夫人に見出されて二十年。
女中頭マーサ(三十八歳)は、公爵家の見えない背骨だった。
夜会の席次から冬薪の買付け、酒蔵の目録、出入り業者の相見積もりまで――
屋敷の段取りはすべて、彼女の指の先で回っていた。
代替わりした若公爵にそう言われた彼女は、規定通り、一月前に辞職を予告。
後任の選定を進言し――「不要だ」。
引き継ぎの説明を申し出て――「聞く価値もない」。
ならば規定通り、引き継ぎ書を三部そろえて、本日付で、去った。
再就職先は、塀一枚隣の没落伯爵家である。
当主のオーレル伯爵(二十九歳・気弱・善良)は、先代の借金と傾いた屋敷を抱え、
残った使用人三人と、芋ばかり食べていた。
それでも彼は、面接の席でこう言ったのだ。
「お給金は……お恥ずかしながら、雀の涙です。ですが毎週必ず、私が自分の手でお渡しします。
あなたのお仕事から、値札を剥がすことだけは、いたしません」
――ようございます。ここを、私の職場にいたしましょう。
金はない。ならば知恵と、段取りと、二十年分の人脈である。
敏腕女中頭の再建が進むほど、気弱だった雇い主は「当主の顔」をひとつずつ取り戻していき、
食卓には、いつの間にか椅子がひとつ増えている。
――一方、塀の向こうでは。
冬薪の予約時期を誰も知らず、真冬に三倍値の薪を買う羽目になった。
酒蔵の目録と鍵が合わず、大事な賓客に出す一本が開けられなかった。
夜会の席次を組める者がおらず、格式を違えて隣り合った二つの家門が絶交した。
若公爵はまだ知らない。
答えはぜんぶ、自分が受け取りを拒んだ引き継ぎ書に書いてあるということを。
……なお、申し添えるが、塀の向こうのことは、マーサは何もしていない。
本当に、何も。
ただ隣の屋敷を建て直しながら、湯気の立ついいお茶と一緒に、眺めているだけである。
芋しか出なかった食卓が二人の食卓になるまでの、姉さん女房ロマンス。
ハーメルン、小説家になろう、カクヨムで同時連載中
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