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宇山 了 2026/03/02 公開 2026/03/09 06:36 更新
懐徳堂(かいとくどう)は、享保年間に大坂船場の有力商人の五同志が発起人となり、妙知焼け(享保の大火)によって被害を受けた市民の心胆に滋養を与え、つらい世を生き抜く気概を鼓舞することを目的に創設された漢学塾である。
初代学主には三宅石庵(せきあん)が招聘され、事務一切を切り盛りする預人(あずかりにん)には、石庵の弟子である中井甃庵(しゅうあん)が就任して発足、後年、甃庵は石庵の跡を継ぎ、二代目学主となった。
五井蘭洲(らんしゅう)は、学主、預人にはならなかったものの、講師として長年懐徳堂に勤務した。甃庵からの信頼が篤く、甃庵の二子、中井竹山(ちくざん)、履軒(りけん)兄弟の教育を託されて熱心に指導し、二人を一人前の儒学者へ育て上げた。
甃庵の長男、中井竹山は、父の後を継いで懐徳堂預人となり、石庵の子で、三代目学主となった三宅春楼(しゅんろう)を補佐して懐徳堂を切り盛りした。甃庵に勝るとも劣らない周旋の才を有し、懐徳堂の名を高からしめた。のちに四代目学主に就任する。
甃庵の次男、中井履軒は、兄の竹山とともに少年期から蘭洲の薫陶を受けて成長した。兄の竹山が社交的なのに対し、履軒は人と交わるのが苦手であり、部屋に籠ってひたすら読書、執筆する生活を送った。履軒の儒学者としての実績、名声は竹山以上であり、「閉戸生(へいこせい)」と自称、奇人でもあった。
本作品は、懐徳堂の創設から、対照的な性格の中井竹山、履軒兄弟の活躍までを描いた群像劇であり、江戸時代中期の儒学界の点景でもある。
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