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熾星 2026/10/27 公開 2026/10/27 17:01 更新
霧浜市の火鍋専門店でアルバイトをしていた夜のことだ。
食べ終わった客の鍋を厨房へ運んでいると、通路の脇から男の子が飛び出してきた。避ける間もなくぶつかられ、トレーが大きく傾く。熱い麻辣スープが両腕にかかり、私はその場に尻もちをついた。
あまりの熱さに息が詰まり、声も出なかった。
男の子の母親が慌てて駆け寄ってきた。
「ごめんなさい! この子が急に走り出して……。大丈夫ですか? 腕、見せてもらえますか?」
同僚がすでに119番へ電話していた。女性は私のそばにしゃがみ込み、腕の状態を確かめると、近くに家族がいるかと尋ねた。
「治療費はこちらで負担します。霧浜にご家族はいらっしゃいますか? 付き添える方がいなければ、こちらで手配しますから」
征也の顔が浮かんだ。
夫は家を買うために仕事を掛け持ちしていて、ここしばらくほとんど帰っていない。寂しくないと言えば嘘になる。それでも、二人の将来のためだと自分に言い聞かせていた。
痛みをこらえて首を横に振ると、女性はすぐにスマートフォンを取り出した。
「もしもし、あなた? 今どこ? 瑛太がお店の人にぶつかっちゃって、熱いスープをかぶってしまったの。救急車は呼んだけど、病院のほうもお願いできる?」
それから間もなく、仕立てのいいスーツを着た男性が店に入ってきた。
男性は床に座り込んだ私には目もくれず、母子のところへ駆け寄った。まず男の子の体を調べ、それから女性に怪我はないかと聞いている。
「だから、瑛太を連れてくるなら目を離すなって言っただろ。わざわざこんな混んだ店に来なくてもいいのに」
女性は困ったように笑い、彼の腕を軽く押した。
「たまには火鍋が食べたかったんだもの。もう、私たちは平気だから。先にあの方のことをお願い」
男性は面倒そうにこちらを向いた。
「二人が無事ならそれでいい。賠償の件は俺が――」
目が合った瞬間、彼の口が止まった。
私は床に座ったまま、その顔を見上げた。
家を買うために三つも仕事を掛け持ちしていると言っていた、私の夫。
鷹取征也だった。
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