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宇山 了 2026/04/22 公開 2026/05/09 06:28 更新
柳沢吉保は、五代将軍綱吉の側用人として異類の出世を遂げたことで後世に知られている。
その柳沢家に、田中桐江と荻生徂徠という二人の藩儒がいた。
田中桐江は、出羽庄内藩士の子息として庄内で生まれた。元服後、江戸へ出て山鹿素行の塾に入門、儒学と兵学を学び、やがて塾の代講となる。だが、遁世志向が止み難く、約十年に及ぶ陋居暮らしを経験する。その後、柳沢吉保に藩儒として仕え、吉保に重用される。
荻生徂徠は、当時上州館林藩主だった綱吉の侍医、荻生方庵の子息として江戸で生まれた。徂徠は林家の私塾で儒学を学ぶが、十四歳の時、父の方庵が綱吉の怒りを買って江戸追放処分となり、方庵一家は上総国本納村へ退去する。それ以降、徂徠は二十七歳で上京するまで、手に入る漢籍を独学で読み砕いて学んだ。江戸に出た徂徠は漢学塾を開くが、やがて柳沢吉保に仕え、その実力を認められて吉保に重用されるに至る。
桐江と徂徠は同僚として親しくなる。二人は綱吉の御前で儒学を講じたり、共に甲府視察を命じられるなど、吉保から信頼された。
綱吉薨去後、隠居した吉保は遊興を覚え、毎夜のように宴席を催した。それを憂えた桐江は、吉保を何度も諫めたものの、いっこうに改善されなかった。
吉保の健康を心配し、このままこの状態を看過するのは忠義の道にあらずと観じた桐江は、吉保に遊興をそそのかした佞臣を斬殺する。桐江は身の振り方を徂徠に委ねるが、徂徠は桐江をかばって出奔を手助けする。
以後、桐江は陰儒として余生を送った。
一方、徂徠は数多くの書物を著し、八代将軍吉宗からの政事についての諮問に答えたりもして、大儒として後世に名を残した。
★本作品は、小説投稿サイト「カクヨム」へも投稿しています★
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