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明治サブ(SUB) 2021/06/25 公開 2021/08/07 18:04 更新
西暦1917年3月15日(ユリウス暦3月2日)、一羽の鷲が地に伏した。
鷲は、名を『ロシア帝国』と言う。
周辺諸国を武力によって併合し、『民族の監獄』とすら呼ばれた帝政ロシア――ツァーリによる専制体制は、強大な軍事力によってのみ、その秩序を保っていた。その軍事力の脆弱さを露呈させ、帝政ロシア崩壊の遠因を作った戦争が、『日露戦争』。中でもロシア海軍が決定的な大敗北を喫し、時の皇帝ニコライII世を講和のテーブルに引きずり出した戦いを、『ツシマ海戦』と言う。日本で言うところの『日本海海戦』。東郷平八郎率いる連合艦隊と、ロジェストヴェンスキー率いるバルチック艦隊の決戦である。
ジノヴィー・ロジェストヴェンスキー中将――敗戦の将と言うこともあり、何かと悪く書かれることの多い人物であるが、実際はどうであったろうか。
1905年……帝政末期のことである。官僚機構は腐敗し切り、労働者はストライキやデモに明け暮れ、ウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキが既に暗躍を始めている時代に行われた、4000海里にも及ぶ想像を絶する大航海。道中の海は全て敵国イギリスもしくはイギリスの顔色を伺うばかりのフランスに握られ、碌に寄港も出来ず、慣れない熱帯の気候で病死者が相次いだ旅路。
実に1万人もの将兵及び非軍人水夫を、遠くバルト海からアフリカ大陸は喜望峰を回り、対馬海峡まで引っ張り続けた彼を、その統率力を、『敗戦の将』などと言う言葉で纏めてしまって良いのであろうか。
これは、ロシア帝国海軍バルチック艦隊司令官ロジェストヴェンスキーによる、救いのない、苦難に満ちた旅路の物語である。
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