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熾星 2026/11/05 公開 2026/11/05 16:34 更新
回収作業中だった三億円相当の極地研究サンプルカプセルが、牽引装置から外れ、冷たい海の底へ沈んでいった。
調査船「しらかば」では緊急会議が開かれた。北辰極域調査機関が二年かけて集めた研究成果だ。失えば、その後の研究計画も予算の審査も大きな影響を受ける。
「明日、誰かに潜ってもらい、カプセルを回収する必要がある。機関では乗組員のために高額の傷害保険も用意している。危険な任務だが、頼める人間はいないか」
船長はそう言って、潜水士たちの前に紙片を並べた。担当者は抽選で決めるという。
俺は相沢航平。潜水チームで最も経験を積んだ潜水士だ。同じ調査隊で働く桐谷紗季とは、交際して八年になる。今回の任務が終わって帰港したら、婚姻届を出そうと約束していた。
俺が引いた紙には何も書かれていなかった。ほっと息をつき、周囲を見回すと、後輩の白石怜央が青ざめた顔で紙片を握りしめていた。今にも泣き出しそうな彼を見て、紗季が動いた。
彼女は俺の手から紙片を取り上げ、怜央の手に押しつけた。
「怜央の代わりに、航平が行けばいいわ」
紗季は、何でもない仕事を割り振るような口調だった。
「航平が一番経験を積んでいるし、去年の深潜水訓練でも成績はトップだった。あなたが担当したほうが成功率も高いし、無事に戻ってこられる可能性も高いでしょう?」
会議室のあちこちで、小声が交わされた。
「桐谷リーダー、白石にはずいぶん甘いんだな。危険な仕事を恋人に押しつけるのかよ」
「八年も付き合って、結婚するって話までしてたのにな……」
怜央は周囲の声など聞こえないかのように、紗季に抱きついた。
「紗季さん、ありがとう。いつか必ず恩返しします」
二人の姿を見た俺は、思わず笑った。
手元の紙片を丸め、怜央の顔めがけて投げつけた。
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