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花守かおるこ 2026/05/17 公開 2026/05/17 13:29 更新
夜の帳簿に、
静かに灯る電卓の光。
男は数字を愛していた。
いや――
数字しか、信じていなかった。
人は裏切る。
善意は赤字になる。
優しさは、いつか食い潰される。
そうやって、
幾つもの会社を解体し、
幾つもの笑顔を、
「合理化」の四文字で消してきた。
一条響。
彼は完璧だった。
冷静で、正確で、隙がない。
だから確信した。
古びた園芸会社。
無借金。
潤沢な現金。
土地資産。
温い経営。
――カモだ、と。
若き女社長は、
花の香りをまとって笑っていた。
「響さん、すごいですねぇ」
契約書もろくに読まない。
利益率も気にしない。
会議中に花壇の話を始める。
愚かだ。
脆い。
騙しやすい。
はずだった。
彼が切ろうとした慈善事業は、
地域の希望になった。
彼が作った架空会社は、
世界市場で黒字を叩き出した。
彼が仕掛けた資金流出は、
社員の未来を育てる制度へ変わった。
悪意は、
彼女の手に触れるたび、
なぜか誰かの幸福へ変換されていく。
まるで。
花が、
どんな土でも咲いてしまうように。
冬。
オフィスの窓辺に、
白い薔薇が咲いていた。
「寒くないように、置いておきました」
その言葉が、
彼には理解できなかった。
なぜ自分を信じる。
なぜ笑う。
なぜ疑わない。
俺は、
お前の財産を奪うために来たのに。
夜の帳簿を開く。
積み上がった利益。
増え続ける資産。
守られていく社員。
そして気づく。
奪うはずだった男が、
いつの間にか、
この会社を守っていることに。
「……俺の負けだ」
絞り出した告白に、
彼女は小さく笑った。
「はい。知ってました」
そして差し出されたのは、
告発状でも、手錠でもない。
彼名義の、
未来だった。
合法的に。
完璧に。
逃げ道すらなく。
「これで響さん、もう一生、
うちの人ですね」
世界で一番ずるい、
優しい買収だった。
数字は嘘をつかない。
けれど。
数字では測れないものに、
人生を狂わされることがある。
例えば、
誰かが淹れてくれる
夕方のほうじ茶とか。
例えば、
冬薔薇の匂いとか。
例えば――
「おかえりなさい、響さん」
その一言、とか。
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