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ゆあ 2026/07/09 公開 2026/07/10 10:56 更新
十六歳のメアは、名前を呼ばれたことがない。
貴族の館の別館と、街の図書館。ふたつの掃除仕事をこなす孤児は、陰で「埃」と呼ばれている。帰る家もなく、夜は図書館の書架に隠れて眠るだけの日々。声すら、ほとんど誰にも聞かれたことがない。
ある夜、目を覚ますと、何かが変わっていた。
記憶は何ひとつ増えていない。なのに、考え方だけが、まるきり別人になっている。十六年分の読書が、初めて頭の中でひとつにつながる。そして気づいてしまう──自分がこれまで、何に対しても「そういうものだ」と、疑いもせず飲み込んできたことに。
捨てスキルと笑われる調合師の腕。誰の記憶にも残らない、透明な顔。そして、何千冊分の知識。
持っているものを数え終えたメアは、決める。
昼は、これまでどおり誰の目にも留まらない埃でいい。
夜は別人になり、銅貨一枚で悩みを聞く、相談屋になろう。
夜の名は、ベラ。美しい淑女の名を持つ、猛毒の草から取った。
説教はしない。慰めもしない。ただ、目の前の相手を観察し、その人がずっと目を逸らしてきた現実を、一番効く形で突きつける。優しい嘘より、効く毒を。
救われた人間は、静かに人生を変えていく。損をした側は、大声で「悪女だ」「毒婦だ」と喚く。だから世間に広まるのは、いつも悪評のほうだけ。
けれど、視点ひとつで、悩みも、体の不調も、時には魔法で治らない呪いさえも変わっていくと、ベラは知っている。
耳障りのいい同情で金を取ることだけは、誰よりも嫌っている。
図書館の隅の埃が、夜な夜な人の人生を書き換えていく——最も優しい「悪女」の下剋上物語。
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